平和記念公園(広島県広島市)
「平和記念公園」に行ってきました。
1945年8月6日午前8時15分、人類史上初の核爆弾(原爆)による爆撃が広島市であり、広島の街は一瞬にして廃墟と化しました(3日後には長崎市にも投下されました)。
その恐ろしい戦争の惨禍を二度と起こさないために・繰り返さないために、「広島平和記念都市建設法」が施行され、爆心地にほど近いこの地に平和記念施設であるこの公園が建設されました。
現在では国の名勝にも指定されており、毎年8月6日にはここで「平和記念式典」が執り行われています。
まずは公園の南側です。
「嵐の中の母子像」です。
トップの写真にも写っていますが、「平和記念公園」の南側(バス停)目の前にあります。
母が背中と腹に二人の子を抱え、必死に生き抜こうとする母子の姿を描いているようです。
平和記念公園の中にはこのような彫像が多数あります。
平和への祈りを込めた像が多数ある光景は、まさしく平和を祈る公園らしい姿ですね。
ちょっと奥に入り、建物の西側にあるのが「広島国際会議場」。
こちらでは、広島での国際会議に使われたり、ホールで色々な公演があったりします。
これの反対側にあるのが、「広島平和記念資料館」です。
原爆の被害の惨状を窺い知ることができます。
中にはとてもショッキングな展示も多く、衝撃を受ける内容となっています。
私からすれば、恐怖に近い内容でした(汗)。
それゆえ、いかに原爆・はたまた戦争の恐ろしさが身にしみてわかり、いかに平和であることのありがたさを感じることができます。
行った日は工事をしている最中だったため、全てを見ることができませんでしたので、一応確認して行くのが良いと思います。
奥に進むと、広場があります。
これだけ見るととても広いように感じます。
左右の芝は立入禁止なので人もおらず、静寂を感じる祈りの場所という感じでした。
目の前に見えるのは、「原爆死没者慰霊碑」、またの名を「広島平和都市記念碑」。
その奥に見える建物が、「原爆ドーム」です。
「原爆死没者慰霊碑」に近づいてみました。
この慰霊碑をのぞくと、真正面に原爆ドームを見ることができます。
二度と核が使われることのないよう祈念し、亡くなった方へ追悼をしながら黙とうを捧げます。
この慰霊碑から西側には、このような施設もあります。
「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」です。
被爆した時の広島市の様子を見ながら追悼をする空間があったり、実際に被爆し亡くなられた方のデータベースを閲覧することができます。
入館料も無料なので、入館して平和への想いを改めるにもいいのではないかと思います。
「原爆死没者慰霊碑」の裏側に来ました。
目の前のモニュメントは「平和の灯」。
このモニュメントができてからこれまで、この灯を絶やさないようにしているとか。
台座は手のひらをイメージしているそうです。
こちらは「レストハウス」。
こちらは被爆建物です。
元は呉服屋、その後燃料会館として、戦前と戦後すぐに利用されていたそうです。
地下室は被爆当時の姿をとどめているようで、貴重なものとなっています。
現在はお土産やインフォメーションセンターとして使われています。
すぐ近くにあるのがこちら。
「原爆の子の像」。
この公園内でも特に有名な像で、原爆で亡くなった子供達の追悼を目的に作られたようです。
佐々木禎子さんの話が有名ですが、こちらは彼女が白血病を患った際に、折り鶴を折れば病気も治ると信じて鶴を折り続けたいう話から、折り鶴を掲げた像となっています。
周りには、平和を祈る世界中から集められた折り鶴(千羽鶴)を展示する場所もあります。
この像の北西側には、供養塔もあります。
身元が分からない亡くなった方の遺骨が納められているそうです。
このような慰霊碑や慰霊塔も、公園内に数多くあります。
公園の北側には「平和の鐘」があります。
平和を祈りながら、鐘をつくことができます。
こちらは誰でもつくことができるので、訪れた際は祈りを込めて鐘を鳴らしてみてはいかがでしょうか。
原爆ドームは公園とは川を挟んで反対側にあります。
多数の修学旅行生と外国の方がいました。
電車で来た場合、こちらから平和記念公園を訪れることになると思います。
「平和記念公園」はこちらです。
広島駅からは、広島電鉄「原爆ドーム前」を下車して歩いて2,3分。
バスなら「平和記念公園」バス停から目の前です。
市内の紙屋町や本通からもほど近い場所にあるので、こちらから歩いても問題ないでしょう。
広島に来た際には必ず訪れてほしい場所です。
以上、「平和記念公園」でした。
「原爆ドーム」は別記事で作成します。
それではまた次回。